今日も1日お疲れちゃん。
毎度横ちゃん(@yokota1211)だよ。
今日は敬老の日ですね。
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」
なのだそうです。な〜るほど(´∀`=)
で、先週末に福山雅治さんの「福のラジオ」を聴いてて、テーマが
敬老の日直前!あの日、言えなかった「ごめん」を福山が代読
【ごめんね!おじいちゃん・おばあちゃん】
だったんですね。
リスナーさんからの
「おじいちゃんやおばあちゃん、もう亡くなっちゃって言えなくなったけど、、、
あん時はごめんなさい。」
てゆう、懺悔的なお便りを福山さんがどんどん読んでくんですけども〜。
幼少時代の何気ない一言でおじいちゃんを傷つけちゃったなぁっていう、
イタタタなエピソードとか。
微笑ましく胸が温まったりするお便りもあれば、
逆に胸が締め付けられたりって感じのものまであったりしたんですけども〜。
↑ご興味ある方はradikoの無料配信で聴いてみてね♪
そういや僕にも祖父母はおりまして。
祖父母4人のうち、3人はまだ健在なんですけども〜。
今日は中年横ちゃんの
「おじいちゃん、おばあちゃんに
言えなかった、ごめんなさい」←まだ言えるけどねw
をゆる〜くお送りしていこう思います。
ごめんね① いつも朝からファミコンばかりしててごめんね。
まずは
「朝からファミコンばかりしててごめんね」
について。
この話の背景を言いますと、僕が小学生だった頃なんですけども。
当時はファミコンが全盛の時代でして、僕と同じ中年世代の皆さまならご記憶かと思いますが〜(´∀`=)
基本、どの家庭でも一家に一台はファミコンがあったんですね。
ほんと今思い返してみても、僕が当時のクラスで一緒にいた友達でファミコンを持ってなかった人が全く見当たらない。ぐらいな。
なんですけど、当時の僕の家にはそのファミコンがなかったんです。
確か小学5年の時の誕生日にようやく買ってもらったんですけども〜。
で、小学校の時って、話題の大半はファミコンだったりしたんですよね。
なので、僕はなかなかその話題に追いついていかない。
ファミコンをやるにしても、基本はお友達の家でやらせてもらってばかり。
長いことはできないし、だからRPGとかもできないし。
友達や友達のお兄さんのプレイを観てばかり、たまにやらせてもらっても下手っぴだからすぐに終わっちゃう。みたいな〜w
そんなファミコンが家になかった幼少時代の僕だったんですけども〜。
今思えば何故?って感じなのですが、祖父母の家にはファミコンがありまして。
小学生時代の僕は週末だったり、あと夏休みなどの長期休暇の時にはよく祖父母の家に泊まりに行ってました。
当然祖父母に会いにいくのではなく、ファミコンをお目当てに。
で、祖父母の家での僕は四六時中ファミコンばっかり。
朝6時前、祖父母より早く起きてファミコン!
日中もほぼファミコン!夜も寝るまで、やっぱファミコン!
ぐらいなねw
我ながら、まるで遠慮がなかったなぁ〜って。
てかあん時の僕はファミコンとご飯以外には、ほぼ何もしなかったですから。
今でいうとこの、引きこもり的な。
さすがに夏休みとか、長期で泊まってる時には温和だった祖母もちょっとずつお叱りチックな感じになっていったのを、未だによく覚えてるんですけども〜。
今振り返ると、もう少し祖父母とのコミュニケーションを楽しんで良かったなぁって。
因みに、、、僕が20代前半の頃になると今度はプレステやドリームキャストの本体を祖父母の家に持ち込むようになりました。
祖父母の家はゲーセンかっ!みたいなw
で、今では年に1〜2回ぐらい、祖母と会う機会は控え目になりましたけどね。
30代を過ぎた頃あたりからは、ようやくトークが主体になりました。
祖母からは毎回「変な女には引っかかったらダメよ!」って、
いまだに言われるんですけども〜(´∀`=)
ごめんね② お刺身やカニばかり頼んでごめんね。
1つ目のごめんが想像以上に長くなったので、ここからはサクサクモードで。
続いては「お高めの食べ物ばかり頼んでごめん」について。
子供の頃の僕は祖父母の家では普段食べられないものばかりをオーダーしておりました。
祖父母の家にファミコンをしに泊まりに行くと、祖母は夕方前にはご飯の準備に取り掛かろうとします。
「健一、夕飯は何が食べたい?」みたいな。
それに対する僕のリクエストですよね。
基本の返しは「お刺身」「カニ」ばかり。
当時の僕の家ではまず出てこなかったんですよね〜、なんせ高いですから。
で、祖父母の家に行くとこれ見よがしに頼んでました。
野菜とか出てきても全然食べなかったですし。
今となっては美味しい昔ながらの佃煮とかも、あん時は一切手を付けなかったな。
せっかくの祖母の手作りだったのになぁ〜(´∀`=)
ごめんね③ 目玉焼きを焼きなおさせてごめんね。
ラスト3つ目。
てか、書き進めてる内にどんどん幼少時代の僕のわがままぶりが出てきます。
おそらくですが、僕が子供だった当時の横田家は他の家に比べると結構貧しかったんです。
んん?貧しかったというか、倹約だったのかもしれません。
お金の優先順位が多分違ったような、、、まっ、その話は一旦置いといて〜。
最後のごめんねは「目玉焼き焼きなおし」事件について。
事件っていうほどではないんですが。
これも僕が幼少時代のエピソードなんですけど。
あれは確か僕が保育園児だった時、、、確かね。
小学校に入る前、僕は保育園に通ってたんですが、母の仕事の都合かなんかで、
何度か祖父母の家に泊まって、祖父母の家から保育園に登園するってことが何回かありまして。
その祖父母の家に泊まって、翌朝の朝食の時ですよね。
元々、僕の家では毎朝目玉焼きが出てくるのが定番になってて。
母からのリクエストを聞いてかどうか、
祖母もその朝食に目玉焼きを作ってくれたんですけども〜。
その目玉焼きの黄身が、、、、
かっ、固かった、、、、(´∀`=)
目玉焼きの固さって、そもそも好みがあるというか。
その家庭で慣れ親しんだ固さ具合や焼き方ってありませんか?
黄身がトロッと半熟ぐらいが好きな人もいれば、しっかり焼くぐらいが好きな人もいたり。
あと片面焼き派か、両面焼き派か、とか。
目玉焼きは流派が色々、みたいな〜。
で、僕は幼少の頃ってずっと目玉焼きは、半熟&片面焼きで食べてきたので、
「おばあちゃんの作った目玉焼きは目玉焼きではない!」
って感じで、大変な駄々を捏ねまして。
で、炎の保育園児横ちゃんは祖母に対して、目玉焼きをもう一度作り直すことを要求するのでした。
当然、一つ目に作られた黄身が固めの目玉焼きには一切手をつけず、、、
で、祖母はニコニコしながらまた目玉焼きを作り直してくれたんですけどね。
そのシーンについては、今だに僕の思い出に残ってたりします。
てな訳で、今日は中年横ちゃんの
「おじいちゃん、おばあちゃんに
言えなかった、ごめんなさい」
をお送りしてまいりました。
なんすかね、僕のパターン的には、
ごめんが言えなかったというよりは、そもそも当時は悪いとさえ思ってなかった
みたいな〜、今振り返ってみるとですけども(´∀`=)
ともあれ、健在の祖父母の皆さんには、末長〜く健康に人生を過ごしていただけたらと思う次第であります。
今までどうもありがとちゃん、そしてこれからも引き続きよろしくちゃん!
てことで〜w
最後に、この記事にお付き合いしてくれたあなたへ。
良き敬老の日でありますように〜♪
それでは、今日はこの辺で。
ほなまたね〜、らぶど〜〜〜ん!