今日も1日お疲れちゃん。
横ちゃん(@yokota1211)だよ〜。
今僕が一緒に仕事させて頂いてるMi自然エネルギー開発さんとのご縁で、
「水路」
について、僕の勉強も兼ねてブログに書かせて頂いてるんですけども〜。
↓↓↓


今回は
水路の歴史
について調べてみました。
そもそもいつから水路ってあるんや?
みたいなね〜(´∀`=)
水路の起源はいつ?どこで?
色々とググってみたところ、世界で最古の水路ができたのが紀元前30世紀ごろ。
メソポタミア文明の頃なのだそうです。
めっちゃ懐かしいね、メソポタミアってワード╰(*´︶`*)╯♡
メソポタミア文明はチグリスユーフラテス川流域、
今でいうペルシア湾沿岸の中東地域〜トルコあたりにかけて、栄えた文明と言われております。
wikipediaによると、、、
チグリス・ユーフラテス川から引水しての灌漑(かんがい)農業が行われていたといわれており、そのための用水路が築かれ利用されていたと推定されている。
また、この用水路は生活用水の供給や治水のための放水路も兼ねていた。
ということで、水路の主な目的は農業用水や生活用水として。
あと治水(大雨で洪水にならないよう排水する)に使用されていたようです。
そういえば学生時代の世界史の授業で、
大きな川が流れている地域の周辺で大きな文明が起きる!
みたいな事を習った記憶が、微かにあるんですけども〜(´∀`=)
文明が栄えるには、人が集まる必要があり、人が集まるには食料!
的な。
食料を得る為の農業といえば、、、なにより水の確保ですよね〜(´∀`)
因みに農耕がブームになる前まで、人間は主に狩猟をして食を確保していたようです。
野生動物の肉とか、あと魚とか。
ただ人口が増加したり、乱獲による野生動物の減少などで狩猟による食の確保がどんどん難しくなり、それで農業に移行したんですって(´∀`=)
↑説ねw
因みに農業では主に小麦が栽培されていたそうです。
収穫した小麦は、人々の主食となり、市場で交易されるようになり、そしてこの小麦を管理・記録するために、文字が使われるようになった、と言われてるようです。
てか文字までキタかww
日本の水路の歴史・ルーツを探る。
ではでは、続いては
日本の水路の歴史
について。
日本書紀(720年)によると、
日本では縄文〜弥生時代頃から水路が使われていたとの記載があるそうです。
佐賀県唐津市の菜畑遺跡(推定年代縄文時代〜弥生時代)
新潟県村上市の元屋敷遺跡(同縄文時代晩期)
徳島県徳島市の庄遺跡(同弥生時代前期前半・紀元前3世紀頃)
などなど。
↑(縄文晩期〜弥生の水田イメージのイラスト、滋賀県服部遺跡のHPより)
因みに当時の時系列が乱れがちな僕みたいな方へ、
縄文時代が紀元前30世紀頃〜紀元前100年頃。キングダムでおなじみ秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年。
弥生時代が紀元前100年頃〜300年頃、
邪馬台国の卑弥呼様が魏に使いを送ったのが239年であります。
↑中学ん時は勉強してたのに、、、記憶が無残にもかき消されている_| ̄|○
てか、日本の水路もメソポタミアと大体似たような時期に作られてるようですね。
因みに日本は弥生時代から稲作が普及して、水路は主に農業用水として使われていたそうです。
そして時は流れ、戦国時代〜江戸時代には新田開発が進み、
農業用水路が全国各地に作られるようになったそうです。
米俵持ってこ〜い!って感じですよね╰(*´︶`*)╯♡
(↑大阪倉屋敷の様子『日本山海名物図会』より)
で、明治時代に入ると明治維新があって
・産業革命により、工業用水路が整備され始める。
・人口増加により、水道が整備され始める。
みたいな。最後かなりザックリですがww
まとめ
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てな訳で、今日は
水路の歴史
について見てまいりました。
水路って、世界においても日本においても紀元前から既にあったんですね。
めっちゃ早いし、もう想像以上に歴史が長かったです。
確かに農作物を作ったり、生活するのには水が必要ですしね。
いちいち川まで汲みに行ってたら、、、とてもじゃないけど間に合わない。
みたいな(´∀`=)
今日は「へぇ〜、へぇ〜」って、ずっと呟きながらブログ書いてました。
あとメソポタミア文明の復習もできて、ちょっと懐かしかったりねw
そんな感じです╰(*´︶`*)╯♡
てことで、今日はこの辺でお開きとさせていただきます。
それではまた次回お会いしましょう、らぶど〜〜〜ん!